―『日常神話大系』第七巻より抜粋―
神話
いにしえの文具界、神々が文を綴りし時代——
世界には「書の神」ピツエンスと、「消の神」ケシムゴラスがいた。
ピツエンスは鉛筆を司り、すべてを形あるものとして残すことを尊び、
ケシムゴラスは消しゴムを司り、すべての誤りを無きものとすることを信条とした。
互いの思想は対立し、ピツエンスは叫んだ。
「我が線に、否を唱えるとは何たる無礼!」
するとケシムゴラスもまた応じた。
「間違いを認めぬ者こそ、真の無知よ!」
ふたりは幾千の机上戦を繰り広げ、世界のノートは破れ、答案は悲鳴を上げたという。
だがある日——
まだ若き学徒が「正解」だと思い書いた一文を、涙ながらに見つめていた。
彼は気づいたのだ、自らの筆が導いた“誤答”に。
その瞬間、ピツエンスとケシムゴラスはふと動きを止めた。
少年の震える手がピツエンスを握り、そしてケシムゴラスを取り出す。
「書くことも、間違えることも、人の証。だが、間違いを正すこともまた尊き行いなり」
その祈りにも似た動作を見て、ふたりの神は初めて理解した。
「我らは敵ではない。互いを補う運命なのだ」
その日以来、ピツエンスはケシムゴラスの存在を受け入れ、
ケシムゴラスはピツエンスの筆跡を否定ではなく“可能性”とみなすようになった。
この和解を祝し、文具界では「誤記解消の儀」が毎年執り行われる。
神棚には鉛筆と消しゴムが並べられ、「正しく書き、誤りを恐れず」の誓いが捧げられるのだという——。
神話的教訓
「書くことと、消すことは対立ではなく、ひとつの創造である」
この伝承は、主張と修正・自己肯定とやり直しの関係を象徴しています。
ピツエンスとケシムゴラスの関係は、私たちの日常の中でも、たとえば――
- 言いたいことが言えなかった時
- 書いた文章を消すか悩んだ時
- 間違いを認める勇気が欲しかった時
……そんな瞬間に、そっと心に浮かぶ教訓です。
📜 教訓の要約
「誤りを恐れず、消すことを恐れず、そしてまた書き出す勇気を持て」
——うそこ大学・日常神話学部『書と消の契約碑』より