📅日付:2192年10月12日
🖋差出人:記憶記録官 ロイ・マグナス(第12感情区アーカイブ棟)
🎴タイトル:「わたしが忘れるまでの間」
本文
わたしは 人の記憶を保存する仕事をしている
忘れたいことを消すのではなく
忘れたくないことを 正確に並べておくわたし自身のことは もうあまり思い出せないけれど
他人の「だいじ」を たくさん覚えている「笑いながら泣いてた母の横顔」
「雨の日に言いかけた、ごめん」
「約束を破られたときの、自分の声」保存されたそれらは、もう誰のものでもない
でも 記録された「だいじ」が
だれかを救うことがあるわたしが 完全に忘れるその前に
もう少しだけ だいじを集めていたい
部員J・白鳩イツキ(感情哲学研究室4年):深読み考察
これは、自己犠牲型の詩であり、同時に“アーカイブの倫理”に関する問いかけでもある。
ポエム内の「わたし」は明らかに記録の中で自分を失っている。
だがその行為に**誇りでも哀しみでもない“静かな意志”**を持っている点が印象的だ。「保存されたそれらはもう誰のものでもない」という一文、これは
記録に所有権はないが、救済力はあるという矛盾に満ちた未来的な真理だと思う。
部員K・ミトセ(文理融合学部・記憶技術ゼミ2年):技術視点のメモ
「記録官が自身の記憶を失う」という状況が、個人的にめちゃくちゃ刺さった。
現代のAIも、大量のデータを学習してるけど、“自分が何者か”は知らない。
この詩の「わたし」は、ある種のヒューマナイズされたアーカイブAIかもしれないし、
逆に、感情の渦に触れ続けたことで人間性を消耗した人類最終記録者かもしれない。でも、「だいじ」を集める意志だけが残ってる……って、もうそれは人間だよね。
部員L・月村カンナ(生活学部1年):率直な感想
最初は「仕事として人の記憶を保存」とか言ってるし、固いポエムかなって思ったけど
「雨の日に言いかけた、ごめん」
「約束を破られたときの、自分の声」ってところで、一気に胸をぎゅっと掴まれた。
誰かの“だいじ”って、ぜんぶ完璧な思い出じゃないんだよね。
むしろ、言えなかったこと、失敗したこと、うまく届かなかった気持ちのほうが「記憶」になる。この未来人、忘れたくないものを代わりに抱えててくれてありがとうって思った。
返信草稿案(提出予定)
ロイ・マグナス様へ
あなたが記録してくれた「だいじ」を、
いま、わたしたちが読んでいます。どれも、誰かが見失いかけていた大切な一瞬でした。
あなたが忘れてしまっても、
その“だいじ”は、
わたしたちの中に少しずつ、別の形で残っていきます。記録してくれて、ありがとう。
——ミライトレターズ一同より
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