―『日常神話大系』第二十八巻「食卓と灼熱」より抜粋―
神話
かつて世界に「肉を囲む喜び」が広まったとき、
人々の祈りに応じて二柱の神が現れた。
ひとりは、バーベキューの神・ヤイーテタノシネ。
香ばしく焼ける音と煙の向こうから現れる祝祭の神であり、
「焼き加減こそ、人生の深み」と語る鉄板の哲人だった。
そしてもう一柱、
謎めいた存在——生焼けの神・ハヤスギヤバス。
彼は肉の中に潜み、外だけを焦がし内側はヌルリと残す“火の裏切り者”。
炭火の狭間にひそみ、気づけば「ん?これ生?」という疑惑を生み出す神だった。
両神の戦いは、夏の河原で勃発した。
その日、人々が肉を囲むバーベキュー祭が開催されていた。
ヤイーテタノシネは完璧な火加減で「じゅわっ」と肉汁を躍らせ、
参加者たちは歓喜に包まれていた。
だが——
そこにハヤスギヤバスが風のように現れた。
「焼けたように見えて、焼けてない。それが美。」
そう囁くと同時に、
いくつかの串焼きが外カリ中ヒヤになり始めた。
それに気づいたヤイーテタノシネは怒りの鉄板を天に掲げ、叫んだ。
「それは芸術ではない、胃腸への挑戦状だ!」
こうして火と火の激突が始まる。
片や絶妙な遠火焼き、片や中だけ冷たい神業焦がし。
肉は跳ね、煙は渦を巻き、
焼き場は戦場と化した。
終焉のとき——
一人の少女が、まだ食べていなかったソーセージに手を伸ばし、
一口かじって言った。
「…ん〜、ちょっと冷たいかも…でも外カリしてておいしい!」
神々は一瞬だけ動きを止め、見つめ合った。
そして小さくうなずく。
「…“それもまた、バーベキュー”か」
それ以来、ヤイーテタノシネとハヤスギヤバスは、
バーベキューの場に同時に現れるようになった。
その緊張感こそが、肉の旨味を引き出すからだ。
教訓
焦がしすぎても、焼かなさすぎてもダメ。
バーベキューとは、火加減の哲学であり、神々のせめぎ合いである。
だから今日もどこかの炭火の前で、
ヤイーテタノシネとハヤスギヤバスは火を巡って静かに争っている——
「この肉、いま裏返すべきか否か」を。